SP TALK 【監督「竹田和哲」×ヒバリ役「玉井敬大」×ゲスト「小林夢祈」】前編
- やぎゅり場 進劇銃題
- 2月1日
- 読了時間: 11分
更新日:2月7日

不登校を題材に綿密な取材を元に製作した映画『絆王子と無限の一歩』その中の登場人物に、イラストレーターとしてネット上で活躍する「ヒバリ」という不登校の中学生がいます。
でも、実際に不登校で、学校の外の世界でアーティストとして活躍する人ってイメージするのが難しいと思います。 そこで先日、映画の試写会のトークゲストとして小林夢祈さんにお越しいただきました。小林さんは実際に中学生から不登校の時期があり、学外で劇団を旗揚げ、関西小劇場で話題となり、現在もアーティスト活動を行っています。
今回は、『絆王子と無限の一歩』の監督・脚本の竹田和哲、「ヒバリ」役を演じ小林さんとの出会いが演劇の道を深めるきっかけとなった玉井敬大と小林さんの3人でのスペシャルトークの模様をお送りします。今作についてや、3人のルーツである演劇部の話をお伺いします。
○試写会の感想○
小林:
僕はまったくこの映画の製作には関わっていなくて、今日初めて映画を観させていただいたんですけれども、不登校になる瞬間だったりとか、学校に行けなくて家にいる時の心理描写だったりとか、不登校の当事者としてすごく共感する場面がたくさんありました。僕は元々、中学3年生の時から高校3年生ぐらいまでの間、学校に行かないという選択を自分で取っていました。行きたい気持ちは自分の中であったんですけど。映画の中で主人公のハルコが、家から出ようとして制服を着て鞄を持って靴を履いて玄関まで来るんだけどもそこで座り込んでしまって、結局学校に行けずに家の中に戻ってしまうっていうシーンがありましたよね。その一連の流れが、僕が学校に行こうとしたけど行けなかった時のことを思い出して、自分にもこういう絶望感があったなって思い出しました。
竹田:
そこのシーンを含め不登校の当事者の心理については、僕自身に不登校経験がないので取材を行ったり、不登校経験のあるハルコ役のりんだちゃんの個人的な不登校経験に頼りながら、とにかく調べることで近づけていきました。リアリティの決め手は、りんだちゃんに「実際どうだった?」「こういう場合ってどう思う?」って確認しながら作っていったことにあります。小林さんが話題にしてくれた、玄関で座り込んで家の中に戻ってを繰り返すシーンの構成のところは、自分の感覚としてかろうじて理解できるもののひとつとして「家の中と外の世界では時間の流れ方が違う」という感覚があって。ハルコが靴を履いて座ってもう一回立って家の中に戻るまでに、学校の世界では2日も3日も経っているっていうふうなシーンの作り方をしたんです。そこの焦りってきっとあるんだろうなと思っていて。
小林:
スローモーションを効果的に使って表現されていましたよね。

〇時間の流れの違いと心理を描く〇
竹田:
ハルコにとっては数十秒の動作なんだけども、その間に「はい次の日、はい次の日、はい次の日、はい放課後」みたいな、ポンポンポンポン学校は進んでいくという心理描写です。当事者でない僕が想像で作ったシーンなので、不登校経験者である小林さんに共感してもらえたら嬉しいなという。
小林:
いや、すごく共感できるというか、それがすべてだなって思ってるところもあって。やっぱり不登校の子って自分ですごく悩んでいて、心が複雑なんです。
自分でもなんで学校に行けないのか分からないし、分からないから自分自身に腹が立つし失望もするし悲しくなったりもするけれど、時間は止まってくれない、待ってくれない。
毎日朝日が昇って気がついたら学校に行く時間になっていて、現実がどんどん迫ってくるというか、毎日攻撃されているかのような感覚に陥ったり。さらには「自分は社会のレールから少し外れてしまってる」とか「みんなと違う時間の過ごし方をしてしまってる」っていうことを、学校に行けてない家にいる時間ですごく考えたりするんですよ。
そういうところの描写が取材の賜物なのかなと思ったんですが、当事者としては「そこそこ!」って共感できるところでしたね。現実と時間の経過がいちばん怖い、というところを映画の中で明確に提示されていて、撮り方も工夫されていて、よかったなと思いました。
玉井:
「学校の時間の流れと外の世界の時間の流れが全然違う」からゆっくり映しているという演出については他にも、学校に通うことにこだわるサクラが、学校に通わないことにこだわるヒバリに自分の決意を伝えに行くシーンがありますね。
サクラがヒバリの家に行ってインターホンを押そうとするところの、ヒバリが不登校になった原因のシーンって、回想というよりも走馬灯に近い映し方にしてるのかなぁとも思って。それに対比するように、ハルコとカイトが二人で小説を書いているシーンは、音楽が流れてセリフがなくてダイジェスト形式みたいに流されていて。ただただ楽しい時間として終わってるのかなっていう感じがして。

〇学校に「なんとなく行っている」という、したたかさ〇
玉井:
不登校とは言い難いんですけど、僕も学校に行きたくないなって感じた時期はありました。「今日は学校行きたくないな」と思って自転車の進行方向を真逆にしてそのままどこかへ遊びに行ったりとかしてたんで。いま思えば「俺ってしたたかに生きてたんだな」と思い返すところがあって。小学生のとき、いじめみたいなことがあって親に相談したんです。親がわりと昭和的な考えを持ってて、「そういうときは3回我慢しなさい。3回我慢してあかんかったら殴りなさい」って言われちゃって。そのとおりに殴って無理やり解決するっていう手法を取ってて(苦笑)。
僕はそんな感じだったなぁって考えると、不登校になる人達って優しさが捨てきれないんだろうなっていうふうに感じられて。この作品は、優しさとか人と人の心のやりとりを、言葉のとおりに映すときもあるし、服装だけで結果を描いているような気がするなぁと思うところもあって、そこがこの映画の面白いポイントだなと思いました。
竹田:
「したたかさ」という観点でいうと、作品全体を俯瞰して見ると「苦悩」にフォーカスを当てて物語が動いているから、主人公であるカイトは振り回されていて不器用そうに見える。けれど、すごく引いた目線で見ると、いちばんしたたかに生きているんです。理由もないのにちゃんと学校行けてるし。強い意思で不登校を選んだヒバリや、強い意思で学校に通っているサクラみたいに、自分の思想が強すぎるあまりそこと戦い続けないといけないというのは、そのぶん世間から反発をくらいがちで、二人はそこに対して負けないような生き方をしている。自分に自信は持ってるんだけどある種、不器用な一面もある。なんだかんだ上手いことやれてるっていう意味では、カイトはしたたかなのかなと。
小林:
カイトは顔がめっちゃ良かったけどね。
一同:
(笑)
小林:
顔がじーっと映されることが多かったですよね。
玉井:
多かった!
小林:
めっちゃいいなと思って。何を考えているのかわからないというか「どういう心境?」って感じさせるのがいいよね。
竹田:
映像編集としては、悩みどころだったけどね。ハマるとすごくいい瞬間というか「そこ無表情で行くんだ!」みたいな。そこが演技としてグッとくるんだけど、お客さんに伝わらなかったら「何ぼけっとしとんねん!」ってなってしまう。だから、カットの秒数や他のキャラクターのリアクションでつないだりして工夫しました。あとは音楽。特に終盤、階段でカイトが自分の気持ちを吐露するシーンは、音楽ないと「これは…伝わらない!」みたいな(笑)。
小林:
めっちゃ印象に残ってますよね。
竹田:
あそこはカイトを演じる依織くんの中で複雑な感情を持ってるんだけど、非常に誤解を招くというか。殺人鬼の目にも見えるっていう(笑)。
玉井:
あぁ。やるしかない! っていう感じの目になっていましたね。
一同:(笑)
竹田:
だからBGMはベタというか「切ないですよ〜悲しいですよ〜」と説明してくれる分かりやすい音楽にしていて。カイトが複雑な表情をしてくれたからこそ、音楽との相乗効果でハマるシーンになったかなと。

○ハルコが不登校になった理由について○
小林:
ハルコが何で不登校になったのかについて、作品の中でフォーカスされていないってところに好感を持ちます。そこは意識したんですか?
竹田:
そこは八柳さんの原作(舞台版の『絆王子と無限の一歩』)から意識してますね。なんでハルコが不登校になったかは描かないって。それはもうちゃんとリスペクトしてやってみよう、っていうのがありつつ。ただ一方で、冷静な目で見たときにお客さんから「結局何だったんだ? 全然わかんない」って言われると非常にまずい。この物語で伝えたいことの軸として、学校に行かない理由が分からないという「本人が整理できない感情や言葉にできない感情とあなたは向き合えますか?」っていうところがあって。そこに「イラついて切り捨てるようなことをしないでいられますか?」という問いかけをしたかったがために、「言語化できないことを言語化する」という過程を大切にしたかったんです。
特にこだわったところは、ハルコが心の内を話すシーン。ある日突然学校に行けなくなって、次の日もその次の日もそのまた次の日も、行かなくゃ行かなくちゃ行かなくちゃ。そして最後、ここは本当に迷った。最終的に「今日も学校に行けなかった」ってことを言いたいんだけど、それを言わせるのは違うなと思って「あーあ、今日もホームルーム始まっちゃったな」って言葉にしました。「ここ、伝われ…!」みたいな。賭けでもあるね。
玉井:
もう始まったから終わってるものという認識か、まだ始まったばっかりっていう認識なのかによって、ニュアンスがだいぶ変わってきますよね。
竹田:
さっき話題に出た、 家の中にいるハルコとどんどん過ぎていく学校生活と、っていうところなんだけど。ハルコにとって実際に見えている景色は玄関のドアだけれど、頭の中で広がっている景色は学校の世界と私の空席で。そんなことばかりが気になってる結果として「今日、私が学校に行けなかった」って事実だけじゃなく、私は玄関の前にいるんだけれど頭の中には学校の世界が存在しているっていう事実がある。ホームルームが始まってチャイムが鳴った音と教室のざわめきなんかが頭にこびりついて離れない…っていうところとリンクしてくれたらいいなと。そんな情景を意識しました。

○川と海があらわすもの○
小林:
ハルコのシーンは屋内が多めでしたけど、終盤でハルコが海に向かって走っていくシーンが好きです。走っても走ってもずっと同じ景色というか、長い茶色い同じ色の壁がずっと続いて、全然景色が変わらなくて、まだ閉じ込められているみたいな。そこからパッと切り替わって海が広がっている開けた風景にシーンが切り替わるところが、すごく気持ちよかったです。開けた土地に人がいるというのが、絵作りとしてすごく気持ちよかったなと思いました。
竹田:
走っているシーンについては演出的な話になるんだけど、ハルコは左に、逆にカイトは右に走ってほしくて。逃げる方向と進む方向というのを意図的に決めて、作っていました。同じ海にたどり着くけど、画面上では逆になるという。
玉井:
川と海の話なんですけど、学校で勉強するのは社会に繋がるためっていう話を散々した後に「川ってほんとに海に続いてるのかな」っていうセリフが出る流れが好きです。川が学校で海が社会で、その最終的に行き着くところが海なのかなっていうところに、いつかは誰もが社会に繋がるんだということが示唆されているのかなって思いました。
小林:
作品考察みたいになっちゃってますね。
玉井:
そう、考察(笑)。でもなんかそこが綺麗やなぁと思って。それを見てやっぱり海が怖いなって思うのも、ハルコのそのときの感情としては絶対そうやろなぁって思ったし。
竹田:
ホントにそう。あそこは、ブルーオーシャンって感じの綺麗な海にたどり着いたら嫌だなと思って。だから、怖い感じの効果音を後から足していって。実際にあそこの海の撮影の時は、ありがたいことに強風で曇り空で大荒れしてくれていて、怖い雰囲気がありました。「道筋が決まっていてレールが敷かれている」というイメージの川の流れと、「もうどこでも好きなところに行けますよ、あとはあなたの自由です。でも、もう深みにはまったら迷ったら終わりですよ」みたいなイメージの海と。
小林:
深掘りしようと思ったらどんどん考察できますね。
竹田:
完全に作品考察みたいになっちゃってますね。
以上、前半でした。後半では3人のルーツである高校演劇・学生演劇について語ります。
映画絆王子と無限の一歩の最新情報は公式サイトにて
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